神よ、
ニーバーの祈り
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
みなさん、こんにちはジュンボナペティです。
今回は冒頭にニーバーの祈りを記してみました。
アメリカの神学者ラインホルド・ニーバー(1892–1971年)
色んな訳し方がありますが、
だいたいは同じ意味では無いかと思います。
変える事のできるもの
変える事のできないものとは何か?
変えられないもの=他人
識別する=自分と他人の境界線
アドラー心理学をモチーフにした嫌われる勇気では
課題の分離としても扱われています。
課題の分離とは
他人の課題=自分でコントロールできないもの
を分けて考えるというもの
たとえば
馬に水を飲ませるために馬を池に連れていく事できても
馬が水を飲むかは馬の問題な訳です。
馬を池に連れていく=自分の問題
馬が水を飲む=馬の問題
また、別の見方として
変えられないもの=過去
だれしも、トラウマとして残るような過去があると思います。
しかし
どんなに後悔しても
どんなに反省しても
過去は変えられない
であるならば、
過去に縛られて未来を諦めるのではなく、
今の行動を変え、未来を作っていく
変えられない過去を諦めて
変えられる今を変えていく
変えられるのは今だけです。
ある意味においては
諦める事を受け入れていくという事です。
諦めるというとマイナスなイメージが付きそうですが
諦めるというのは自分を受け入れるということ
自分を受け入れる=自愛でもあります。
現実を受け入れる事は苦しい事でもあります
スピ的に言えば
現実は内面の投影
現実を受け入れるという事は
自分の内面を受け入れるという事
自分の内面と向き合ってみると
課題が見えてくるかもしれません。
それは自分の課題なのか?
それは他人の課題なのか?
ではではよしなに~
ちなみに
宇多田ヒカルさんの
Wait & See ~リスク~の歌詞の中で
ニーバーの祈りの一文が出てきます
探してみて下さい
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